2009/08/31

インド紀行11

バナラシにはゴミ箱がない
どこに捨てたらいい?と町の人に聞くと
「その辺に捨てろ」と言われる
煙草もその辺に捨てる
朝早くにほうきを持っている少年が町のごみを集めているのを何度か見かけた
多分そういう仕事なんだろう
けれどそんなことだけじゃ全てのごみはなくならないので町は汚い
人間は生き生きしているけれど
これはどうにかならないものかと思った
ペットボトルなど土に還らないゴミも多い
牛の糞は仕方ないとして

身なりの良い人はほとんど携帯電話を持っていて
確実にインドは発展している
10年前に携帯電話を持っている人には一度も会わなかった
物質的に豊かになると
日本がそうであるように
心が貧しく痩せ細っていってしまう
10年後もこの人たちは生き生きしているだろうか

バナラシは雨期になると町中は水浸しになって
足のすねのところぐらいまで水が溜まるという
そんな中で歩くのは本当に気が滅入るだろうなと思った
衛生状態は最悪だろう
僕が行ったのも雨期だったけれどほとんど雨は降っていなかった

町の中にムスリム街がある
本当に綺麗に別れている
けれどもほとんど衝突は起きないらしい
「ムサルマン(インドの人たちはムスリムをこう呼ぶ)とはうまくやっている」のだそうだ
ムスリムは牛を食べる
ヒンドゥーは牛を食べない
インドで食べられている牛は水牛だと思うのだけれどその辺を歩いている牛もほとんどが水牛だ
どこかに屠殺場があるのかもしれないけれど
インド人は誰も知らない
シヴァ神の使いのナンディが牛であるからインド人は牛を大切にしているというのが建前だけれど
実際は牛を叩いたり
レンガを投げつけたりと
なかなかにひどい扱いだ
だからその辺の牛が密かに殺されて食べられていたとしても暗黙の了解か
もしくはあまり気にしていないのかもしれない
ただその事実が公になった時には大事になるかもしれない
自分たちには甘く外国人や他の思想を持った人には厳しいのがインド人の印象だ(表面的には外国人にも優しいけれど)

逆にムスリムは豚を不浄として食べない
インド人もベジタリアンが多いので好んでは食べないようだけれど
旅行者用に調理して出しているところが何軒かある
そのうちの1軒でとんかつを食べてみた
味はとんかつっぽかった
ただ肉は真っ黒で薄く
本当に豚肉かどうかは分からなかった

インド人同士の喧嘩を見た
平手でたたいていた
そんなに力も入れていない
本気で怒っているのに
日本だったらグーだろう

夜バナラシを発った
駅では何度も停電になって焦った
停電になった状態で電車が入ってきたらその電車にちゃんと乗り込めるかどうか不安だった
電車は1時間以上遅れたが無事に乗り込めた
ペットボトルのリサイクルをしているというビジネスマンと話をした
「中国と韓国の成長はすごいね
日本はもうだめだね」というようなことを言われた
他にも宗教のこといろいろ
お腹が痛かった
14時間電車に乗った
駅につくたびに物売りの大きな声や物乞いが来てなかなか眠れない
何度も電車が止まる
ハウラー駅は目の前なのになかなか着かない
昼にようやくコルカタに着いた

2009/08/30

インド紀行10

町の中に一歩入ると
体臭
糞尿
スパイス
お香
排気ガス
食べ物の腐った匂い
が渾然一体となって鼻をつく

つくづく日本の町には匂いがないなと思う
潔癖で無機質な町
そんな町に慣れているとインドに来たらその匂いに戸惑うけれど
インドの町の方が生きているって感じがする

インドの食事
ターリーというプレート
右下はダールという豆のスープ その隣がチャパティという小麦粉を焼いたパンのようなもの
右上から豆やにんじんをいためたもの ほうれん草のペーストに揚げにんにくが入ったカレー(中) それとじゃがいもを揚げたもの(左)


ほうれん草のカレーがとてもきつかった
今までに食べたことのない味
これカレーなのにほとんどスパイスの味がしなくて酸っぱいねん
そしてこれを食べる前に前の日記に書いたように牛の糞を踏んづけたものだから
いくらごまかそうとしてもそれにしか見えなくて食べられなかった
僕ほとんどご飯残さないんやけれどこれは無理だった
写真では見切れているけれどこれにさらにライスがついてくる
とにかく量が多い
インドでは食欲があまりなかったので
ほとんど一日一食だった
(インドのご飯が口に合わなかったというわけではなくて自分の体調の問題)

下の写真はカロムというゲーム
インドのトラディショナルゲームだと言っていた
黒と白に別れて指ではじいて四隅のポケットに自分のパックを落としていく
僕の職場にもあるけれどインドで初めてやった
すごく楽しい
京都でも一部の人たちの間で流行っているらしい
滋賀県の彦根で全国大会が開かれているそうだ

(最初の並べ方はこう)


生まれて初めての対戦は右の子
初めてのわりには何個かパックを落とせたし結構うまいんちゃうかなんて思って
隣のおじさんと対戦したらレベルの違いを感じた
2回しか打てなかった
おじさんはほとんどミスせずにどんどん自分の色を落としていった
10回くらいやったけれど1度も勝てず
アドバイスを受けつつ
最後に「努力することが大事だ やり続けるその気持ちだ」
なんて言われる


こんな小さな女の子でも上手い
これはルピーアンドパイサというゲームでとにかくパックを落とせば良いというルール

帰国して調べたらカロムはもともとエジプトで生まれたゲームらしいね
これがイギリスに渡ってビリヤードになったとか
1台買って練習しようかななんて思っている

2009/08/29

インド紀行9

ガンガーに向かって毎晩行われているプージャー(祈り)
ガートごとに大小行われているけれど
ダシャシュワメードのが最大
すごい音
近くで見ているよりも
ボートに乗って近づいていく時の方がわくわくした
ものすごい数の人で夏フェスを思い出す

写真を見ながら
aphex twinはどうだったんだろうなんて思ったり




リシュケシュでも夜に祈りを捧げているのを見たけれど
その時は女の人が舞踏を踊っていた

2009/08/28

インド紀行8

今回は火葬以外の葬儀について

火葬するのは魂を浄化するためだけれど
浄化の必要のない人たちは火葬しない
それには6種類あると言っていた

「5歳以下の子ども」
「妊婦」
「顔に斑点のできる皮膚病で亡くなった人」
「コブラに咬まれた人」
「サドゥー(出家した人)」
「自殺した人」

5歳以下の子どもはまだ純粋だからと言っている人もいたし
経験を積んでいないからと言っている人もいた
同様にその子どもがお腹にいるという理由で妊婦も火葬しない
皮膚病で亡くなった人はどうして火葬されないのか分からない
(火葬した方が病気が蔓延しないと思うけれど)
コブラはシヴァ神の使いなので
それに咬まれるということは神に選ばれたすごくラッキーな人なのだそうだ
サドゥーは俗世間を捨てて聖人になった人だからこれも浄化不必要
自殺者も何で火葬されないのか聞きそびれた
ただ僕にいろいろ教えてくれた人は自殺はインドではほとんど無いと言っていた

このことを帰国してからエスさんに話したら
何でインドでは自殺者がいないんだろうねと聞かれ
僕も分からなかったので調べてみたら
いないどころか農村部での自殺者数はここ10年増えているそうだ
凶作や貧困が主な理由で
「輪廻転生を信仰しており、知識の少ない農民が自殺することが今生の苦しみから解脱する唯一の早い道という考えをもたらしている」
とのこと
都市部の人たちはそんな実情を知らないのかな

僕は火葬以外の方法で一度だけ葬儀が行われるのを見た
火葬場にいると賑やかなブラスバンドの音が聞こえ
お祭りでも始まるのかなと思っているとあっという間に人だかりができた
誰かがサドゥーが亡くなったんだと教えてくれた

サドゥーがガンガーに浸される
顔に何度も水をかけられ
ピンク色のビンディが水でにじみ
お化粧をしているようですごく安らかな顔をしていた
周りにいる関係者は千鳥足の泥酔状態
白い布を纏った代表の人が
シヴァ神殿からの炎を手に持ち
死体の周りを5周する(5というのは火とか水とか5つのエレメントの数)
それから死体は大きな1枚岩にくくりつけられ
家族とともにボートに乗せられる
再びブラスバンドが旅立ちを祝うように再び演奏を始め
ボートはどんぶらこどんぶらことガンガーの中央へ
サドゥーが水に沈められそれとともに大きな歓声が巻き起こる
家族の何人かは一緒に川に飛び込み
泳いで帰ってきていた

サドゥー以外でも火葬されない人は
同じように岩にくくりつけられて川に沈められる
ごくまれに岩から外れて死体が浮かび上がってきてしまうそうだ
(僕も一度だけ死体らしきものが流れていくのを見た)
川に沈められた死体は勿論魚が食べてしまう

サドゥーになるためには特別な儀式がいるわけではなく
「俺今日からサドゥーになるわ」って自分が決めたらすぐサドゥーになれるそうだ
俗世間の全てと縁を切る訳だけれど
僕が見た亡くなったサドゥーの周りにどうしてあんなに家族がいたのか
どうして家族が彼の死を知ることができたのかは疑問だった

前にインドに行った時に北の方でこのサドゥーと言われる人と一緒に洞窟で過ごしたことがある
北の方では魚もほとんど食べないらしく
川で大きな魚が飛び跳ねていてそれを覗き込んでいると
一人のサドゥーがやってきて何やらお祈りをして僕の額にビンディをなすりつけ
花を喰わせ
お金をよこせと言われた
そんな詐欺まがいの出会い
一緒に生活したら生活したで
町に行って煙草を買って来いとつかいっぱしりにされたりしたけれど
ご飯も作ってくれてそれはそれで良い経験だった
(お腹は壊したけれど)

彼らの中にも段階があって
その人は「ババ」と言っていたけれど
「グル」というのもあるそうだ
それも自分で勝手に決めているらしい

出家したと言っても
物乞いと同じような生活を送っていたり
旅行者をだましたりする人もいるようで
サドゥーの定義は曖昧だけれど
他の人たちからは一定の敬意は得ているようだ

(ガートの近くにいたサドゥー
写真撮影を快諾してくれた)

2009/08/27

インド紀行7

再び火葬について

初めて火葬を見た時にはかなりの衝撃を受けたけれど
見続けることによっていろいろなことを思い
またいろいろなことが麻痺していった

魂は永遠
肉体は借り物
肉体が燃やされ魂が浄化される
燃やされた灰は川へ流される
それを魚が食べる
その魚を人間が食べる
それによって魂は再び別の人間に宿ることができる
それがリーンカーネーション(輪廻転生)だとインド人は言っていた

死体はいつから人間ではなくなるのだろうか
いつの瞬間魂が抜けるのだろうか

少なくともガンガーに浸される時には
死体は丁重に扱われていた

けれども火が入ると
それはもう物として見なされているように感じた

布にくるまれさらに薪に囲まれているので
燃やされても体の部分は確認できないと言われたけれど
実際はそうじゃない

天に向かって突き上げるような手
薪の間からぬっと出た足
黒く焦げた頭

薪が燃えていくにつれて
炎の中に「人」の姿が見えた

けれども火葬場の人間は
それを薪と同じように扱う
よく燃えるようにはみ出た足は棒で叩いて折って
薪の中につっこむ
頭も棒でたたいて燃えやすくする
その時に脳のような液体が飛び散った
誰も気にしない
家族さえも
まるでそれが当たり前のように

3時間経っても燃え尽きないことがある
多分腰の部分だと思うけれど
それはそのまま灰と一緒に川へ投げ込まれる
川の中には網を持っている人が何人かいて
その灰を漉して何かを探している

何とも言えない気持ちが去来する
けれどもその場から立ち去る気にはならない

僕は小さい火葬場のハリシュチャンドラガートでずっと見ていたけれど
大きい火葬場のマニカルニカーガートは本当に大きかった
けれども小さい火葬場の方が僕には合っていた

火葬するには薪代だけで2000〜3000ルピーかかるそうだ
日本円でいうと5000円から7500円くらい
センターサークルと呼ばれる場所では高貴な人が燃やされる
そこはさらに費用が高いらしい
僕は一度だけそこで焼かれるのを見たけれど
まだ幼い子どもが火を入れていた

聖地バナラシで火葬されることはとても幸せなこと
だからインド中から死体が運ばれてくる

ただ2000ルピーというとインドでは大金だ
貧富の差が激しいので
本当に貧しい人は一生かかってもそこまで貯められない
だから火葬場の近くには施しを求める人がいる
「自分は火葬場で焼かれたい
だから薪代を今から貯めている」
という人がいた

その人はきっと
自分の死の瞬間のためだけに
今ある生を過ごしているのだろう

最初それを悲しいと思ってしまったけれど
それはきっと僕のエゴなんだろうな


本当にお金のない人はここで燃やされる
現地の人はエレクトリックファイヤーと言っていた
日本の火葬場と同じなのかな
費用は安いがここはあまり使いたくないとのこと

2009/08/26

インド紀行6

ゲストハウスの屋上でマスターと話をしたり外を眺めたりしていると
「ラーマ ナーマ サット ヘイ」
というかけ声が外からよく聞こえた
部活動のかけ声のように
一人が言うと
大勢が後に続いて同じことを言う

何のかけ声かというと
死体を運んでいるかけ声
下の写真のように何人かで担いで火葬場まで運んでいく
(他にもリキシャーにくくりつけたり
車で運んでいるのも見かけた)


運ばれた死体はまずシヴァ神殿に1日安置される
その後で家族が火葬場まで運び
ガンガーに浸す
布にくるまれているので本当にそこに死体があるのかはにわかに信じられなかった
全身をどぼんと浸ける場合もあれば
顔だけに水を掛けている場合もあった
顔に水を掛ける時に初めて布がはがされそこには安らかな人間の顔を見ることができた

その後
薪が組まれている上に死体が置かれ
さらにその上に薪が組まれていく
よく燃えるように黒い炭の粉が振りかけられ
さらに匂いを消すためサンダルウッドの粉が無造作に振りかけられる

剃毛し白い布を身に纏った家族の代表一人が
シヴァ神殿で何百年と燃え続けている炎から火を分けてもらい
それを薪に移す
そうして火葬が始まる

一人が完全に燃え尽きるまでに3時間程度
その間家族はじっと見つめている
他の人が見ていても別に何も言われないが
近くから写真を撮るのは禁止
「ノーフォト」と言われる

初めて火葬を見た時に
「あれは私のじいさんだ」と言う人に話しかけられた
自分の家族が燃えている様を興味本位で他人に見られることは
僕だったら複雑な心境だろうけれど
インド人の感覚は違うらしい

レストランのマスターに
火葬されることは幸せなことで悲しいことではないと聞いていたので
その僕と同じくらいの歳の孫に
「悲しくないのか?日本人なら多分泣くで」と言うと
その人は
「うちのじいさんは飲み過ぎで死んだんだ
おれたちはみんな疲れてるんだよ」
と笑って言っていた
僕が尋ねたことがよほどおかしかったのか
他の兄弟にも笑いながら僕とのやり取りを話していた

その兄弟の長兄はインターナショナルスポーツプレーヤーだと言うので
何のスポーツか尋ねると
「カバディだ」と言われた

「知ってる知ってる
カバディカバディって言い続けるおにごっこみたいなやつやんね?」
『日本でも流行ってるん?』
「いや日本でやってる人はあまりいないわー
ただそのスポーツを知っている人は結構いると思うで・・・」

他にもインドをどう思うのか?
日本の技術とインドの技術についてどう思うのか?
などについて家族と一緒に談笑した

目の前ではおじいさんが燃えている

3時間たって全てが灰になり家族は僕に手を振りながら帰っていった

火葬には女性は来ない
女性は泣くから
やっぱり人が亡くなるということについて
悲しいと思う気持ちは共通なんやと思いながら
初めて僕が見た火葬は終わった
それから3日間僕は火葬場に通った

火葬を遠くから写したもの
遠くからなら良いらしい

2009/08/25

インド紀行5

バナラシと言えばガンガー(ガンジス川)
ガンガーはそれ自体神様(ワニに乗った女神)として崇められている

10年前にリシュケシュというインドの北の方の町に行ったけれど
そこのガンガーは水が透き通っていて浅く川幅も狭かった
バナラシのは規模が違う
水は茶色に濁り川幅はものすごく広い
流れは緩やかに見えるけれど
川の中央の辺りはとても深く(現地の人もどれくらい深いか知らないらしい)
水中の流れは激しくて一度溺れると助からないそうだ
淡水イルカが棲んでいることは有名だけれど
人食いの大きな魚もたくさん棲んでいるらしい

このガンガー沿いにに大小いくつものガート(堤)と呼ばれる場所があって
そこで沐浴をしている人がいたり洗濯をしている人がいたり
用を足している人たちがたくさんいる

有名なガートは一番大きなダシャーシャワメードガート
それから大きな火葬場があるマニカルニカーガート

川沿いに歩いていると
ボートに乗らないかとたくさん声を掛けられる
勿論有料
中にはコブラを見せて
触らせてやるから金をくれと言ってくる人もいた
勘弁して欲しい


外国人だけでなくインド人もたくさんボートに乗っている

沐浴するのは人間だけじゃない

洗濯をする人
棒で洗濯物を叩いて洗う
基本的に洗濯屋さんしか洗濯しちゃいけないらしいけれど
普通の人も洗濯をしている
ただ外国人が洗濯をしていると「水を汚すな」と怒られるとのこと

説法を垂れている人とそれを聞く人たち


川沿いの壁に書いてあった
この文章が全てを表していると思う

ちなみに僕は川沿いを歩いていて牛の糞を踏んづけてしまったので
靴底を川に浸して洗っていたんだけれど全然取れなかった
すごく繊維質で「一体何食べてんだよ!」って思いながら半分泣きそうになって先の尖った石で靴の溝にはまった糞をほじくりだしていたんだけれど
そのうちどうでもよくなった
大きな糞を踏んづけようがそんなこととても小さなことなんだって

2009/08/24

インド紀行4

ゲストハウスの屋上にはレストランがあって
そこのマスターと仲良くなった
年は50過ぎ

夜に2時間くらい宗教について話をした
ヒンドゥー教の文化に興味があったので
インド人の宗教観について話をする中で
そのマスターの身の上話を聞いたりした

お茶で有名なダージリンという場所でその人は生まれ育ち
奥さんも子どもたちもそこで生活をしている
自分がダージリンに戻るのは1ヶ月だけ
ダージリンではビリー(インドの煙草)を買いに行くまでに
何キロも移動しなければならないそうだ
その点バナラシのようなシティは便利だと言っていた
ダージリンと言えばお茶で有名だけれど
実際そこで生活している人はかなり貧困らしい

かつてはソーシャルワーカーとして働き
3000ドルほどお金を貯めて
それを貧しい人たちに全て配って
今の職についた

インド人はあまり人前で悲しみの感情を見せないけれど
その人は夜中の誰もいない火葬場に行って
メディテーションをしながら遠くに住んでいる家族のことを思って心で涙したり
僕のように知り合った遠くに住んでいる人の幸せを願ったりしているそうだ
(だから日本に帰っても同じように私のことを思って欲しい
そうすれ通じ合えると言っていた)

日本人の宗教観はどうなのかと聞かれて
僕はインドほど生活と宗教が結びついていないだろうと答えた
それでは神様を信じていないのかと問われて
他の人は知らないが少なくとも僕は神様を信じていないと答えた
神様がいるとしたら
それは一人一人の心の中にであって
誰しもが神様のような存在なのではないかと言うと
彼も同じようなことを言っていた
結局自分次第なのだと
誰かが決めるのではない
何もかも決めるのはまぎれもない自分なのだと

僕は良いカルマを持っているとその人に言われたけれど
多分それはお世辞だろう

そんなやり取りを僕はたどたどしい英語で
向こうはヒンドゥーまじりの英語でやり取りするものだから
話の50%くらいしか通じなかったように思う

彼と話をしていた2時間は
実にゆったりと気持ちよく過ぎていった

2009/08/23

インド紀行3

インドで観光と呼べるようなことをしたのはアーグラだけ

アーグラには2日いて
そこからバナラシ(ベナレス)に電車で向かった
夜行で12時間くらい
電車内でトラブルに巻き込まれることが多いので用心していたけれど
心配していたようなことはなかった
電車は多少遅れたくらい

昼に着いたバナラシはものすごい人だった
聖地だけあって
インド中から人が集まって来ている

オートリキシャーで
ハリシュチャンドラガートという
小さな火葬場の近くのゲストハウスに宿を取る

写真はそのゲストハウスから撮った子どもたちの様子



1枚はたこあげをしている子どもたち
(たこあげが流行っているのかな よく見かけた)

もう1枚はシヴァ神殿の屋上で話をしたりしている子どもたち

どちらも同じような年代の子どもたちだけれど
1枚目と2枚目の子どもたちの間には絶対に乗り越えられない差がある

1枚目に写っている子どもたちは
多分朝の7時から昼の12時まで学校に行って
学校に行く前と学校から帰ってきた後は仕事を手伝っているんだと思う

2枚目に写っている子どもたちは
僧侶の子どもたち
幼い頃から寺院でサンスクリット語を学んでいるそうだ

1枚目の子どもたちは多分ヴァイシャと呼ばれるカーストの子どもたち
2枚目の子どもたちはバラモンの子どもたち

同じ子どもであるのに
カーストは絶対に乗り越えられない

さらに町の中には
ものすごく汚れた服装でお金を恵んでもらっている子どもたちもいる
シュードラと呼ばれるカーストの子たち

話をしてみるとみんな明るくて元気なんだ
どんなカーストであろうとも

2009/08/22

インド紀行2


アーグラという町はタージマハルで有名な場所
タージマハルは世界遺産に登録されている
10年前に行ったときはそんなに入場料は高くなかったように思うけれど
今は日本円で1900円近くかかる
ちなみにインド人だと入場料は600円程度

手荷物検査に加え
ビデオの持ち込みは入り口までと
ものすごく警備が厳しい


人が多かったせいもあって
初めて見た時ほど感動はしなかったが
やはり正面のこの位置から見ると圧倒的に美しい
素足で歩くと白い大理石がひやりとしたのを覚えているけれど
今回は白い大理石も熱を帯びていた

その後にアーグラフォートへ
ここも2度目


建物の装飾がとても美しい


色鮮やかな鳥は城の中だけでなく
町中でもよく見かけた
他にも猿,りす,犬,それからもちろん牛が
自由に町の中で生活している


アーグラフォートからのタージの眺め
タージの正反対の場所に黒いタージを建設する予定だったそうだけれど
タージを作るために国が傾いてしまったため
王は息子によってアーグラフォートに幽閉されることになる

今は軍の施設となり
一部しか公開されていないアーグラフォート
失われた王国

この日インドに来て初めてトイレを使ったけれど
勿論手で拭いた

2009/08/21

インド紀行1

タイのスワンナプーム空港はとても綺麗で近代的だった
見覚えがないなと思ったら2006年に開港したばかりなのだそうだ
(僕が10年前に訪れたのはドンムアン空港だったのだろう)

空港にはサムスン電子のロゴがいたるところにあり
韓国の成長ぶりが伺い知れた

タイにはトランジットで寄っただけなので
デリー行きの飛行機に乗った



飛行機なんてものが無かった時代
誰が雲を上から見下ろすことができると想像しただろうか
雲の上は神様の住む世界だったはずだ

神様の住処さえ人間は自由に行き来できるようになり
神様は今どこに追いやられてしまったんだろう

地上から見上げる雲は想像力をかき立てるが
見下ろす雲もやはり想像力をかきたてた

2009/08/17

お久しぶり

昨日の夜に帰国しました

お腹が痛いけれど
元気です

今日は運転免許証の更新に行きましたけれど
すごく疲れました

元々そんなに肉付きが良い体をしていたわけではないのに
そこからさらに5キロ減って
がりがりの体になっています

明日から仕事ですが
日記でインドのことを綴っていけたらと思っています

2009/08/03

個展が終わりました

初の個展が盛況のうちに本日無事終了いたしました

来て下さった方々どうもありがとうございました

(会場で人気の高かったらしい作品)



(文章はこのようにパネルに印刷して展示していました)



「旧市街」


(本作品のテーマであるバイオンゼミ)

僕の作品は文章で
絵は絵描きが描いているのですが
文章は手にとって読みたいという声が多数あったので
製本作業を一生懸命やりたいと思います
来年は完成展を開きたいです

明日からしばらくインドに行くのですが
帰ってきてからお礼状を書こうと思います

わざわざ足を運んで下さったみなさん
本当にどうもありがとうございました

2009/08/02

こんばんは

今日はバスケの試合があり
朝から出かけました

僕がプレーするわけではなく引率だったのですが
自分でプレーする以上に燃えますね

結果1勝1敗でしたが
相手のラフプレーに思わず声を荒げてしまったり
些細なミスから連続で点を取られてがっくりきたり
感情の起伏の激しい一日でした

帰ってきてから恵文社に向かおうと思ったら
生憎の雨
やまへんかなあと思っていたら
うとうと船を漕いでしまいました

明日は最終日
早いうちに用事を済ませて
結構長いことギャラリーにいる予定です